2025/2~3月 タイ、カオラックの旅

2月27日に成田を出発して3月18日に帰ってきたタイのカオラックの旅は僕にとってリラックスできたいい旅だった。毎日朝6時過ぎに海岸や町のまわりを散歩し、海岸で海をながめそして早朝に開いている店で朝食を買ってきてゲストハウスで食べる生活を2週間つづけた。昼はタイマッサージに毎日行き夕方はまたビーチに行って夕日を撮った。そしてゲストハウスで買ってきた夕食をたべ大麻をすった。大麻をすうとよく眠れて次の朝は頭がすっきりしてほんとうに生きていて良かったと思う気分になった。旅の計画では1週間カオラックにいて、その後の1週間はプーケットのパトンビーチかカタ・ビーチに行こうかなと思っていたがカオラックプーケットも同じアンダマン海にあるので観光客が多そうなプーケットに行くのはやめにしてカオラックだけに滞在することにした。カオラックはヨーロッパのリタイアした人達がビーチ沿いのリゾートホテルに宿泊していて、若い人達は僕と同じ町の安ホテルに宿泊しているようだった。とにかくカオラックはヨーロッパの人達が多い。僕は若い頃ダイビングをやっていたのでアジアのビーチは知っているがアンダマン海ははじめてなので非常に興味があったがほかの海とかわらなかった。でも天気の良い日はカオラックアンダマン海は青々としていた。ダイビングをやめてからいままで山や町を観光旅行していたが今回ひさびさにビーチのある観光地にきてほんとうにのんびり、リラックスできたので次回の旅もまたタイのビーチのある所に行こうと思っている。

母の納骨で秋田市に帰郷した

秋田市 千秋中島町

この場の空気の匂いを嗅げ、この風景の鼓動の音を聞け、ここを通る風を感じよう。

しかし心を止めてもなにも感じないし何も聞こえない、むしょうに寂しさがつのるだけだった。

 

何十年ぶりかで生まれ故郷の秋田に帰った。母の納骨と従兄弟のへっちゃんの供養のための帰郷だった。ついでに幼馴染が中島で生活していれば会ってみたかったし、ふるさとの中島の様子が今どうなっているか見てみたかった。

雨がやんだ朝の6時頃ホテルを出て町を流れる旭川沿いに中島に向かった。薄暗い道を子供の頃の記憶を思い出して歩いていった。ところどころの家や建物は変わっていたが道自体は変わらず迷わずに歩いていけた。しかし早朝でしかも雨上がりで曇っているからなのか人がまったく歩いていなかった。子供の頃に住んでいた家は今はなく、その場所に従兄弟が新しく建てたという家があった。子供の頃あった近所の家もみな新しくなっている。ひととおり町内を歩きまわっていると雨がふたたび降ってきたのでいったんホテルにもどることにした。

納骨をおえてその足でふたたびお寺から歩いて中島にむかった。子供の頃を思い出し、だいたいの方向に歩いていくと中島の近くにきた。また旭川のこんどは反対側の土手を歩いた。道は子供の頃とまったく違っていなかった。子供の頃によく来ていた鉄橋が見える橋の上でまわりの風景を見てみた。川の位置、鉄橋の位置,家々の建っている位置はだいたい子供の頃とおんなじだが風景の雰囲気が違う。天気のせいなのかなにかわびしい。なにかパットしないなと感じた。しかも人が歩いていない。また生まれた家の近くに来て幼馴染が住んでいた家の玄関で声をかけても家のなかから犬の吠える声が聞こえるだけでなかからだれもでてこなかった。ふたたび町内をまわってみたが家のなかから人の声は聞こえずひっそりしている。昔の子供の頃は町内はもっとにぎやかだった気がする。誰とも会えずしかたがないので裏道から千秋公園まで歩いて行くことにした。きつい階段を登って千秋公園のお城にむかって歩いていたが途中で空車のタクシーが止まっていたので、早めに東京に帰ろうと思い秋田駅まで乗って行くことにした。秋田駅はにぎわっていた。結局にぎやかで人がいるのは秋田駅とそれにつづく広小路だけだった。

ひさびさに行った秋田は思っていたとうりわびしくてさみしい田舎町だった。いまでは幼馴染もつきあいのある親戚もいなくなってしまった。もう秋田に行くことはないだろう。しょうがないことだ。

 

私の母親は101歳5ヶ月で永眠した。

私の母親は令和5年8月15日自宅のベットで私が見守る中彼岸に旅だった。私は臨終前にチベットの「死者の書」にもとずいて母の手を取り解脱し、涅槃にいたるよう導いてあげた。

母は4年前転んでケガをし、それ以来介護ベットと簡易トイレをつかっていた。4年前はしばらくしてかなり回復してベットから起き上がりトイレに行ったり、テーブルで食事ができるようになった。そして3年前は私と一緒に母は買い物用の手押し車で散歩することができていた。去年から今年にかけては車いすに座り私が押して散歩した。母はだんだん弱ってきていた。

私は母親と同居していたので最初から「母親を最後まで自宅で介護しよう」と決心していた。そして今年の6月ころから母はさらに弱ってきて食事も水分もあまりとれなくなってきた。やがて水分しかとれなくなり8月15日午前3時頃息を引き取った。

母は101歳まで生き切った。私は100パーセントとは言わないが母親を自宅で介護し切った。

私の人生は考えてみるとほとんどが中途半端ななげやりな人生だった。しかしここにきて母を最期まで自宅で介護し切ったことは私にとって唯一生きた甲斐があったということだ。

中国の台湾進攻とロシアのウクライナ侵略

広島サミットにウクライナのゼレンスキー大統領が登場してサミットは成功に終わった。日本はひさびさに世界の注目をあびたわけだ。

ロシアはG7から非難されゼレンスキーは絶賛された。中国はこけにされ世界の鼻つまみ者にされた。うれしい限りだ。

中国はさっそく例ののっぺらぼうな顔の女性報道官が上から目線の中国様式の切り口上でG7を非難していた。

独裁政権の中国や北朝鮮の報道官の口上は反吐が出るし虫唾が走る。

G7が全面的にウクライナを支援することが決まって中国の台湾進攻は不可能になったのではないだろうか?

しかし狂気のプーチンウクライナを侵略したのと同じで、狂気の習近平も対抗して台湾進攻するかもしれない。

アジアでも戦争が起きれば世界大戦になり世界はまた暗黒の時代に突入するのだろうな。恐ろしいことだ。

山上徹也----安倍晋三暗殺者について

山上はすごい。自作の銃で安倍を暗殺したのだから。

山上は貫徹した。目標をさだめそれを見事になしとげたことをオレは称賛する。

まず山上は銃を自作した。人を殺せる銃を自作できるとはすごい。つぎに彼は目標をさだめ、敵に弾丸を正確にヒットさせ死にいたらしめた。これまたすばらしい。

素人でこんなことができる人間はざらにはいないだろう。プロでも暗殺をいつでも完璧にやりこなせる人間はそうはいないだろうが、山上はやりおおせた。見事だ。

山上の生い立ちは壮絶だ。父親は自分の家族を打ち捨てて自殺し、兄も病気がもとで自殺した。母親は統一教会にのめりこみ家の財産をすべてふんだくられた。

母親は狂っている。山上は母親を殺すわけにはいかず安倍を暗殺した。これは宿命だ。

いっぽう安倍は油断した。安倍は政治家の家に生まれ何不自由なくすごしたボンボンだ。

能力がなくともいっぱしの政治家になれ、総理大臣にまで登りつめた。

安倍はわいろや献金で肥え太っていた。山上とは大違いだ。

統一教会という安倍と母親の共通の接点で安倍は山上の暗殺の対象になった。

安倍は統一教会から金銭などの支援をうけていたはずだ。うけていなければ統一教会の大会にわざわざメッセージなど送らないだろう。

その支援の金はどこからきているのか?山上の母親などがふんだくられた金だろう。

そうなれば安倍が山上の母親のかわりに殺されるのは当然の帰結になる。

これは日本の支配階層の安倍と被支配階層の山上との戦いだったのだ。

ホモセクシュアルとアセクシャル

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 約半年たって、彼のことを忘れ かけてい た頃に彼から会いたいとのメールがきた。 彼が指定してきた場所は以外にも街のなかではなく郊外の公営の団地の前の公園だった。私が公園の入口にたつとメールがきた 団地のA号棟の屋上に来てくれとのことだった。エレベーターで屋上に立つと彼がいた。いつもの長い黒いコートを着て、髪を斜 に顔面におろし顔をかくしている。彼が立っているいるのは屋上の柵の外だった。彼の前に立つと彼は言った。「他でもない。 オレの頼みというのは、ここからオレを突き落としてくれないかということだ。」「突き落とせだと。オレがアンタを突き落とし ら オレは殺人者だ。」「それは大丈夫だ。この団地は1980年代に建てられた団地でほとんど人がすんでないし、監視カメラ もない。」「アンタは1人で飛び降りられないのか?!」「そうだ。オレは心が弱くてな。」なんだこいつは!カッコつけやが て、と思いながらオレは柵の外に出て、彼にだきついて一緒に飛び降りた。彼の目をみたら恐怖で焦点がさだまっていなかった。 私も これですべてに決着がついたということだ。

安倍首相辞任と後継首相について考える

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安倍総理大臣がふたたび任期途中で辞任した。持病が再発したそうだ。いままで途中で2度辞任した総理大臣は聞いたことがない。やはり安倍総理は軟弱な一般の人間と同じ普通の人間だった。政治家とは人前にでて能書きをたれるのでオレ達一般の人間より能力や才能があると思っていたがやはり普通の人だった。その安倍総理大臣は戦後最長の在任期間になってすぐに辞任した。在任期間中、憲法改正拉致被害者奪還、北方領土返還を掲げていたがなにひとつ実現してはいない。ただ失業率を低く保って延命していただけだ。オレ達も安い給料だがなんとか食っていけるので安倍総理大臣の延命をゆるしていただけだ。その間に他の国に日本の国力は抜かれほうだいだった。日本人は優秀だと言われた事があるがそんなことははったりだった。いまやはったりの過去の栄光だけでもっているようなものだな。   

後継総理大臣は菅官房長官がなった。おいおいほんとうかよ。「菅」はチビでデブでハゲでチンケな男じゃないか。あんな容姿の男が日本の総理大臣じゃみばえがしないなあ~。ついでに言うと頭は悪るそうだし、昔の古い調整だけが卓越した政治家そのものに見える。彼は総理大臣になってなにをやろうとしているのだろうか?彼は安倍総理大臣の政策を引き継ぐと言っているが、1年後はとっとと辞めてもらいたいものだ。今の中共アメリカがつばぜり合いを演じている国際情勢のなかで国内の調整だけでは日本の国は生き延びてはいけないだろう。いままでの安倍政治を大転換、改革できる政治家じゃなきゃ日本の国家は今後存在するのは難しいだろう。日本のすべてを大改革する必要があると思うけどな。いまの政治家のなかにはそういう人物はいそうもないな。だから菅がとりあえず総理大臣になったということだな。日本の将来は期待も希望も持てないということか!