タナ・トラジャ(トラジャコーヒー)

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  ひさびさに女性と食事に行った後コーヒー専門店に行ってメニューをみたらトラジャコーヒーがメニューの中にあった。懐かしかった。私は若い頃トラジャに魅せられて約1週間ほどの旅行を何年間かにかけて7回一人でトラジャを訪れた。インドネシアのバリ島デンパサールからスラウェシ島のウジュンパンダンまで飛行機で行き、ウジュンパンダンのバスターミナルからバスでトラジャのランテパオまで何回も行ったし、ウジュンパンダンからタクシーで直接ランテパオまで行ったこともある。また私は若い頃ダイビングをやっていたのでウジュンパンダンからトラジャのランテパオを経由してスラウェシ島のダイビングのメッカ、メナドまでバスで縦断したこともある。それほど私は若い頃トラジャに魅せられていたのだ。
 なぜトラジャに魅せられたのか。それはひとつは舟形の家屋のトンコナンハウスだ。ある日図書館の本でこの舟の形をした建物を見て、なぜトラジャの山のなかに舟形の家屋があるのか興味が沸いたのだ。
 トラジャ族の祖先はベトナム北部と中国南部の間のトンキン湾から渡ってきた海洋民族でスラウェシ島の南東の海岸地帯で生活していたが後からきた他の民族に追われてトラジャの山に逃れた民族らしい。それで舟形の家屋が海洋民族の象徴として造られたのだろうと思う。(後に私は海洋民族のブギス族やバジャウ族に興味を持った)
 それで私は実際にトラジャに行って見てみたいと思ったのだ。実際に行ってみるとすばらしかった。トラジャの平地では稲が植えられ牛が田を耕していて懐かしい昔の日本の田園風景が広っていた。田園地帯はそんなに高くない山々に囲まれている。この山は石灰岩でできていて簡単に穴を穿つことができ、あちこちの山の棚に死者のしゃれこうべが飾っていた。トラジャは死が生と普通に並存していた。特に葬儀式が素晴らしい。それはひとつの饗宴であり蕩尽であり、村人全員が正装して参加していて儀式は数日間続けられていた。
 また私は何回目かのトラジャへの旅でランテパオの北側にある山のバトゥトゥモガ村に乗り合いバスで行って、2日間トンコナンハウス風のゲストハウスに宿泊した。バトゥトゥモガ村からは棚田が山裾まで広がっている。こんな大きな棚田は見たことがなかった。また村から少し先には日本のコーヒー工場があった。朝散歩していると霧が村まで登ってくる様子が幻想的だったし夜にはゲストハウスからランテパオの町の明かりが見えてこれもまた幻想的だった。
 夜トンコナンハウス風の天井が低く、狭い土間と一人しか寝るスペースがない部屋で寝ていると、あたりにはなんの物音もしない静寂が訪れた。外はランテパオの明かりしか見えない暗闇だ。恐怖が訪れるかなと私は思ったが逆に心の平穏が訪れた。「ああ、ここで死んでもかまわない」と言う何とも言えない心の平穏が訪れたのだ。不思議だった。以来私はバトゥトゥモガの村のトンコナンハウス風のゲストハウスで最後を迎えたいと思っている。